霧のロンドンならぬ,雪のロンドン

















18年ぶりにロンドンは大雪となりました。
学校はもちろんのこと、ほとんどの会社も休みとなりました。

数年前、東京でも大雪となったときに、会社に行くために電車から降り、線路に沿って歩くたくさんの日本人ビジネスマン(日本式にはサラリーマンでしょうか)の姿が英国で、驚きをもって報道されたことがありましたが、英国ではこんなことはありません。

英語ではany excuse と言って会社で仕事をしないためにはどんなことでも理由にするといわれています。通常の学校のお休みは、多くの家庭ではかなり前から旅行(ホリデー)の予定を入れてしまうので、このような突然のお休みは、時間にせかされることもなく、「ゆっくりできていいわねー」とのこと。広い公園やグリーンといわれる芝生の広場:昔クリケットという英国のスポーツをするために作られた場所で、町には必ず1か所はあります:が多いので、たくさんの家族が雪だるまつくりに熱中していました。
















家族や友人を大事にしますので、皆連絡を取り合い、一緒にグリーンで合流したり、友人宅を訪ねたりと、予想したかったお休みを楽しんでいました。カフェやレストランは閉店しているのかと思いきや、すべてオープン。昼前からワインを楽しむグループでいっぱいです。会社に行けないのなら家で仕事だけに時間を費やす、というのは英国式ではないのです。予定しなかった休みだからこそゆっくりと過ごすわけです。


議論ずきな英国人。テレビやラジオでは、この大雪でロンドンの機能が停止してしまったことに関し、たくさんの討論が行われていました。

特にロンドンバス(赤い2階建てバスのことです)が運行しなかったことに関して、「第2次世界大戦中、爆弾が落とされる中でも運行していたのにこんな雪で止まってしまうとはいったいどういうことだ」という意見が続出。

バスに乗ってから、目的地に爆弾がおとされたため、行先が急にかわることも多かったそうです。
今でも、日本人が英国で驚くことのひとつが、バスや電車の行先が急にかわることではないかと思います。もちろんきっちり時間どおりの運行を期待してはいけません。

日本では考えられないですよね。バスの行先が予告もなく急にかわるのは仕方がないという考えは、戦争中から続いていたのですね。

ところで、この戦争中、爆弾が投下される中でもバスが運行していた、というのは実は英国人のプライドの現れです。第2次世界大戦によって英国は完全に「大英帝国」に終止符をうつことになってしまったわけですが、その歴史を感じながらも最後までロンドンの象徴であるロンドンバスを走らせたのです。

2005年7月の爆弾テロのあとも同じようなことがありました。

情報もなく、突然次々と地下鉄やバスで起こった爆弾テロ。パニックになって当然だと思うのですが、パニックにはならず、皆冷静にお互いを助けあい、次の日からなるべく通常の生活をするようにとの政府からの呼びかけに、実際に子供達も学校に通いうなどそれを実行していたのです。

「テロに屈してはいけない。テロで歴史を変えることはできない。」小さな子どもまでそう言いながら学校に通う姿を見て、良い意味で世界で一番プライドが高いといわれる英国人の本当の姿をみたような気がしました。

歴史が自分たちを変えるのではなく、自分たちが歴史をかえるのだという強い意志を持ちながら、雪には簡単に屈する英国人。この柔軟性が大英帝国を築いたのでしょうね。

大雪のロンドンで、楽しく食事をしながら議論している英国人をみて、こんなことを感じた、おもしろい日でした。

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